【R+】COURRiER Japon 2010.1月号「新世紀ベルリン」

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師走です。冬休みに入ってしまうので、今回は計画的にR+(レビュープラス)さんのレビューを書きます。

クーリエ・ジャポン(COURRiER Japon), 先月にひき続きまして、今月号もレビュープラスさんより献本していただきました。いつもありがとうございます。

2010年の最初を飾る1月号。冒頭の「話題の有名人」では、つい今月初めに来日したマイケル・ムーア監督のインタビューを取り上げています。2年ぶりの新作映画「キャピタリズム~マネーは踊る~」のエピソードが綴られています。そして、米TIME誌より「2009年 世界の発明品BEST 50」。ガジェット好き、理系好きにはたまらないマニアックな発明品ばかり。今月号のクーリエは最初から旬な話題で私をぐいっ、と捉えてきました。

さらっと全体を読んだ後、振り返り何度も何度も読み、考えさせられ、しまいにはもっと知りたいと知的好奇心をくすぐられたのは、特集記事の「新世紀ベルリン」でした。特集の副題が”-壁とアートと接吻-“とあったので、本誌を手にして読むまでは、てっきりこの特集は現在のベルリンの新興アート情報満載の特集かと想像していました。表紙をめくるまでは!

しかし、アートだけではありませんでした。現代のベルリンを語る上で上では避けるに避けられない「ベルリンの壁」の存在。そう、キーワードは「壁」です。

今年2009年はベルリンの壁崩壊20年とのこと。読むまで、今年がそんな節目の年とは知らず、もう20年も経ったのか、という印象でした。1989年当時、私は小学校高学年。おぼろげながら、テレビでベルリンの壁が市民により壊されて、東西に分かれていたベルリンが一つになったニュースは記憶にあります。東西ドイツも統一され、その後、今のドイツになったことは周知の事実ですが、記事を読めば読むほど、私のこれまで持っていたベルリンの壁に関する知識はなんと小さなものだったのか、と思い知らされました。

特集の最初の方のページ下部に「ベルリンの壁をめぐる動き」という題名で1945年~2009年までの年表があります。ベルリンの壁というのは1961年に建設されています。壁は第2時世界大戦後、すぐにできたわけではなかったと、この年表を見て気がつきました。

年表の次には、左右2ページ見開きでベルリンの壁の実態が完全図解されています。これは理解しやすく、この特集の中でも一押しです。壁を挟んで西ベルリンと東ベルリンとでは全く異なる世界だったというのをまざまざと見せつけられました。西側は壁のすぐそこまで市民の居住地で、西ベルリンが設置した物見台で観光客が東ベルリンを見渡せる観光スポット(!)になっていたようで、空気の流れが比較的のんびりである印象をうけます。対して、東側はそれはそれはすごい包囲網です。ベルリンの壁から数10メートルにわたり軍事地域となっており、更にもう一枚ベルリンの壁の内側に壁があり、それでも物足りず、鉄の線路を十文字にしたバリケード、鉄の針が埋め込まれた”鉄の絨毯”、全長100km以上に及ぶ有刺鉄線、逃亡者が足を引っ掛けたら花火が上がる信号弾、壁の手前にはいつでも逃亡者の足跡を見つけやすいように地ならしされていた監視道など、この東西の違いに驚きました。しまいには、監視に邪魔だ、という理由で東側の2枚の壁の間の監視区域にあった教会まで爆破してしまうとは、、、社会主義国家の実態に絶句しました。

そして、この図をみて、もう一つ、私は大きな誤解をしていたのに気がつきました。東ドイツは東西ドイツ国境を全て封鎖し、西ベルリンをぐるりと囲うベルリンの壁を建設しましたが、私は、ベルリンの壁というものは、てっきり、西ベルリン側にいる人を閉じ込めておくためのもの、そして、東ドイツ側に人を入ってこさせない役割だと思い込んでいました。しかし、それは全くの逆で、東ベルリンにいる人を西側に逃げ出せないようにする目的だったとは、知りませんでした。西ベルリンは周りを東ベルリンに覆われ、まさに共産国の赤い海に浮かぶ孤立島の如く隔離されていましたが、西側の裕福さを求め、東側から西側への逃亡が耐えませんでした。そのため、東側は東ベルリン人が逃げ出せないように、壁の内側に何十にも罠を仕掛け、監視も徹底していたのです。

特集を読んでいくうちに、私の中でどんどんベルリンの壁に関する興味が膨らんでいきました。どうやってこの壁は作られたのか?そして、どうやって一瞬のうちに壊される事になったのか?ウィキペディアのベルリンの壁の説明を読むと、その疑問が解決されるでしょう。驚くことに、ベルリンの壁は1961年8月13日午前0時に東西ベルリンを封鎖してから、わずか13時間後には有刺鉄線で東と西を分断する壁の建設が完了したとのこと。まさに瞬時に壁ができ、市民が「何だ?どうしたんだ?」とうろたえているうちに選択の余地なく瞬時に壁は出来てしまったのでしょう。状況を理解できず、気がついたら家族が東と西でばらばらになってしまったこともあった、ということにも頷けます。そして、壁が崩壊したときは、東側同士多少行き来がしやすくなったハンガリーに行けば、オーストリアを経由し、西ドイツに亡命できそうだ、という噂が噂を呼び、市民がハンガリーに集結。ハンガリーが出国を黙認したことで、ベルリンの壁は有名無実化し、あっという間に崩壊へとつながりました。

物理的な「壁」は無くなった。これで本来の姿に戻って幸せになったはずだ。そう大半の人はベルリンに関して思っているのではないでしょうか?しかし、見えない「壁」は今でもある、ということを特集後半で取り上げています。今でもあるユダヤ人に対する「人種の壁」、東西格差による「経済の壁」、東ドイツ政府をあげてのドーピングで犠牲になった元オリンピック選手の「身体に残された壁」。壁は物理的に壊されて、悪夢が終わったのではなく、まだまだ潜んでいることを知りました。ある意味、ショックでした。

特集副題のように、最後は新生ベルリンのアートについてで締めくくられておりますので、副題を期待していた人にとっても満足の行く記事だと思います。しかし、私にとってはその前段階が重く、とても考えさせられました。ベルリンの壁を再認識する機会を与えてくれた今回の特集に感謝します。ありがとうございました、とクーリエ・ジャポンに言いたい気持ちで一杯です。今月号はこの特集だけでも読む価値がありますよ!

※今回もレビュープラスさん主催によるレビューコンテストに参加しています。


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2010/1/8追記
本レビューはクーリエ・ジャポンレビューコンテスト第4回で副編集長を受賞しました。
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