Day3:王宮(クラトン)、インドネシアと日本の関係

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旅行日時:2010/10/10
プランバナン寺院群の後はジョグジャカルタの街のほうに車で向かいました。王宮(クラトン)にまずは行ってみることに。 DSC07367_640.jpg

インドネシアというと大統領のイメージが強いですが、王家もまだ残っているのです。過去王家は沢山あったようですが、一番権威があったのがジョグジャカルタの王家で、今もこの王宮に住居を構えています。ジョグジャカルタは自治体区分的には特別州と呼ばれ、特別州になった1950年より、スルタン(王様)が州知事になること、と法律で決められました。よって、ジョグジャカルタは王様が州知事の仕事をしていることになります。しかし、現在の王様の次が女のお子様しかいないので、跡継ぎ問題があるとか。どこの国も似た問題があるのですね。

王宮に入ったら、音楽が聞こえてきました。行ってみると、ちょうど民俗芸能のショーをやっていました。 DSC07363_640.jpg

音楽も民族音楽。打楽器中心ですが、簡単な楽器の人は、とっても退屈そうにも見えた(笑) DSC07364_640.jpg

とても派手な装飾の部屋 DSC07371_640.jpg

面白い顔の装飾 DSC07370_640.jpg

王宮の中にはインドネシアの歴史の年表や写真もあり、博物館的な要素もありました。インドネシアと日本には過去の歴史で重要な関わりがあります。インドネシアは第二次世界大戦前、他のタイ以外の東南アジア諸国がイギリスやフランスに統治されたように、330年にわたってオランダの植民地でした。オランダ人はインドネシア人を本当に酷く扱いました。徹底した分断生活がオランダ統治の特徴で、オランダ人が優雅にくらす一方で、インドネシア人は奴隷の様に扱われます。インドネシア人には教育を行わず、読み書きができないようにし、プランテーションの奴隷としてこき使っていました。スカルノ(デヴィ夫人の旦那さんですね)やハッタなどの民族主義活動家は逮捕され、拷問の後、長期に渡って流刑生活を強いており、このことにより、インドネシア人としての民族意識を奪い、デモを起こさせない様に仕向けていたわけです。

しかし、第二次世界大戦中、欧米の侵略からアジアを守るためにと奮起した日本軍が既に欧米列強の植民地であった東南アジア諸国に攻めこんできます。インドネシアに至っては、330年のオランダ統治をわずか8日で日本軍がオランダ兵を降服させたことにインドネシア人はたいそう驚いたそうです。その後、インドネシアは日本の植民地になりますが、日本が植民地にとっていた政策は同化政策。これは台湾や韓国に対して行っていたのと同様のもので、植民地は日本と同じように設備を整え、植民地支配下の国民は日本人と同じような生活をさせることです。日本の同化政策によって、インドネシアは奴隷の地位から解放され、教育を受けるようになり、道なども整備されて、生活の質が格段に改善します。オランダ人がインドネシア人に学ばせなかったインドネシア語も、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語がインドネシアの共通語として驚異的に発展しました。また政治犯として捕まえられていたスカルノも解放され、民族意識が高まっていきます。逆にオランダ人は逮捕され、それまでインドネシア人が入っていた強制収容所に投獄され、その時始めてこんなひどい環境だったとは、と認識したとのこと。「自分たちが入ることになるならこんなに不潔にはしておかなかった」とも言ったとか。なんとも哀れです。

しかし、日本は戦争で負けてしまい、第二次世界大戦で連合国に降伏し、インドネシアの日本統治も終わりを迎えます。民族意識の高まったインドネシアは独立を宣言しますが、そこに文句をつけてきたのはイギリスとオランダで、インドネシア独立戦争へと推移します。この時期、戦争で負けたばかりの日本兵がインドネシアにはまだ相当残っており、名目的には連合国であるイギリスやオランダ側に協力することになっていました。が、日本兵はオランダやイギリスに協力しているように見せかけ、武器の移送をするときにはインドネシア軍にこっそり武器を横流ししたりして、インドネシアに協力をしていました。手口がオランダにばれると、残留日本兵はインドネシア側に付き、インドネシアの独立をインドネシア人と一緒に戦いました。4年半の戦争で、オランダは諸外国から非人道性を非難され、戦争は終わり、インドネシアは悲願の独立を果たします。インドネシア人はこの独立戦争で犠牲になった約1000人の日本人の事は忘れず、彼らはインドネシアの国立英雄墓地に永眠しており、6人の日本兵はインドネシアより独立名誉勲章を貰っています。

植民地でありながらインドネシアからはほとんど当時の日本の植民地支配に批判が聞こえてこないのは、このような経緯があるからだとされています。この辺の歴史は特に日本の東南アジア戦略に関してはアメリカとの関係でタブーとされてきた所存もあり、教育的に触れてはならない部分も多いらしく(正確にいうと日本の東南アジア戦略は太平洋戦争ではなく、大東亜戦争といいますが、このネーミングはGHQより抹殺されている背景があります)日本の近代史ではほとんど習いません。私は、この王宮でみたインドネシアの歴史や、ガイドブックの最後にある簡単な国の歴史から興味を持ち、インドネシアから帰ってきてから調べて知ったことでした。とても興味深いです。

その土地を旅行することで、知り得た事なので、旅行は自分の糧になり、視野が広まる、と認識しました。

ちょっと読んでみたいと思っている本です↓

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