2011/3/11

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1000年に1度級の規模の岩手・宮城・福島・茨城を襲った地震と津波。テレビを見るたび、自然の残した傷跡が痛々しく、被災地の方々の苦労を考えると心が痛みます。

その時私は神奈川県中部のオフィスにいました。

ちょうど地震がくる数分前に中国の雲南省でも地震があったというニュース記事を見ていたら、自分の周りが揺れ始めました。
「え、東京も地震?」

その数日前の昼休み時間にも地震があり、去年越してきたばかりのこのオフィスは免震構造のせいもあり、随分揺れるものだなと思っていましたが、この時は揺れが激しく、そして長い。

机の下にもぐりました。もぐりながら、机の下を掃除していたからスムーズに入ることができてよかったと思ったことを記憶しています。

会社では数ヶ月に一度、安全衛生委員がオフィスの机棚の上に不必要なものを置いていないか、机の下はもぐれるようにしてあるか、としつこく点検が入ります。そのときは、ああ面倒だ、とか、思っていたものです。去年オフィス引越しをしたせいもあり、ある時は、私の部署はこのビルの中で棚の上の荷物の放置が一番悪い、と言われ、大掃除をやったりもしました。今思うと、あそこでちゃんと掃除をしていたのがよく、もし、放置のままだと今回の地震で散乱・怪我につながっていたかもしれません。

机の下にもぐるのも、普段の避難訓練だと、なんとなく恥ずかしい雰囲気がありますが、今回はただならぬ揺れで、恥ずかしいを通り越して必死にもぐり、机の下に常備してあるヘルメットをかぶりました。机の下で四つんばいになり、グレーの床のカーペットに視線を落とし、ぎしぎりと揺れる音を聞きながら、揺れが収まるのを耐えていました。揺れは数分だったと思いますが、何倍にも長く感じました。電気も一瞬停電しました。私は端の席で、右側がキャビネットの壁で倒れはしないものの、ひどい音がしました。何が起ころうとしているのか不安でした。

1度目の揺れが収まり、状況確認のためインターネットやラジオをつけると、宮城で大きな地震とわかりました。ヘルメットも私はかぶりっぱなしです(笑われましたけど)。しばらく椅子に座って作業をしていたところ、今度は突き上げるような揺れで、再び机の下にもぐりました。そしてこの揺れが収まった後、全館避難指示が出て、5階から階段で降り、外へでました。

居室の再入室許可が出るまで、このオフィスの従業員全員が外の中庭待機となりました。約1時間半。オフィスの外を見ると、敷地内のある建物の避雷針がぐんにゃり曲がっていました。1時間半後、やっと私のオフィスの点検が終わり、再入室できました。しかし、ビルとビルとつなぐ2階以上の渡り廊下は立ち入り禁止、カーペットを見ると所々天井か壁の材料がくだけた白い粉が見られ、少ないながらも地震の影響が見られました。

余震は続き、私の隣のキャビネットがミシミシなり始めると必ず余震がぐるので、とにかく音が怖かったです。あまりに揺れが頻繁なものだから、酔ったような感じにもなりました。電車も止まっていて、朝まで帰宅できないことを覚悟しました。総務は仮眠場所の準備やおにぎりと味噌汁の炊き出しなど、頑張ってくれたと思います。夜0時に電車運行再開の情報を聞き、何とか帰ることができそうだと、駅に向かったら電車がきて、そこから普段の倍以上の時間はかかりましたが、家まで帰ることができました。不眠不休で電車を動かしてくれた鉄道会社さんの努力に頭が下がりました。

家に帰っても、地震速報とテレビでの情報が気になり、結局朝まで寝ずにすごしました。変に気が立っていたのだと思います。

そして連日の地震報道。3月と言えども、東北は春の気配には程遠く雪も降っています。広い体育館で電気が止まると寒くて仕方が無いことでしょう。早く春がやってきてほしいです。

地震の揺れの中で、もし自分がこのままつぶれて死んだら、自分の人生は後悔はしなかったか、など、そういうことを考えていました。前日までこんな大きな地震が起こるなんて思っていなかった。いつ人は死ぬかわからないものだと思ったのです。一日一日を大事に、そして、いつか急に死ぬことになっても、自分の人生、これでよかったと最期に思えるように、これからの人生、後悔の無い選択と決断をしていかなければと強く感じました。

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