Day4:モスタル観光

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旅行日時:2012/4/30

車を走らせボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに到着したのは夕方4時頃。スプリトから3時間ちょっとかな?石畳の道にお土産屋も多く、ここはクロアチアのスプリトやドブロブニクからの日帰り旅行の観光地として有名らしい。
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モスタルといえば、この橋「スターリー・モスト」が世界遺産。橋の形も美しいが、下を流れる川の色が本当にこのエメラルドグリーンで美しかった。この橋の右側はクロアチア人が住み、左側がモスリム人が住む。ボスニア・ヘルツェゴビナは停戦したといっても、今でもなお民族ごとに分かれて住んでいるのだ。
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ボスニア・ヘルツェゴビナの通貨は兌換マルク(KM)なのだが、ここではクロアチア・クーナとユーロも使える店がほとんどだった。このことからもモスタルは観光地なんだなと伺う事ができた。
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スターリー・モストをわたる前に引き返して川沿いのモスク「コスキ・メフメド・パシャ・モスク」に行ってみる事にした。
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一応、イスラム教と対するときは緊張するものだ。入口の人に一言「見学していいか?」と聞いたら、どうぞどうぞ、とのことで見学させてもらった。
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シンプルではあるが、ステンドグラスの明かりがきれいなモスクだった。
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このモスクにはテラスがあり、そこから見るスターリー・モストがまた美しい。
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モスタルはその昔、オスマン・トルコの植民地だったので、この街はモスリム人が多く、売っている土産もトルコのティーセットなど。クロアチアとは全く違う内容。一挙にトルコに迷い込んだ感覚を覚えた。
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そしてもう1つのモスクにも行ってみよう。カラジョズ・ベグ・ジャーミヤ。しかし、この途中には子供をあやして物乞いしている母親や金くれ、って言ってくる男の子がいた。イスラム教は金持ちから施しを受ける、というのを悪と思わない風潮があるので、やっぱりイスラム教の街なんだな、と思った。
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途中にあったトルコの家。んーただの古い家っぽいから特に中は見学せず(できたのか?)
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モスク到着。立派なミナレットだ。
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こちらのモスクはどこからか来たモスリム人のご一行様(トルコ?)がいた。30度を越える暑さなのに、彼女達は長袖を来ているのが印象的だった。宗教とは大変だな・・。
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ここは入ろうとしたら係のおじさんが出て来て4KM払わされた。100円くらいだろうか?基本的にモスクの形は先ほどのところと同じで、こっちの方が更にシンプルだった。
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天井の文様が綺麗。このカリグラフィーに萌える。
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とにかく暑い日だった。真夏。
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そして、スターリー・モストの手前にある”DON’T FORGET”。何を忘れるなって?それは1993年にボスニア内戦でこのモスタルが激戦地となり、あのスターリー・モストまでも爆撃されて破壊されてしまったからだ。現在のスターリー・モストは内戦後に再建したもの。
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スターリー・モストに登ってみよう。石橋はつるつるしてて滑りやすい。
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先ほど見学した川沿いのモスクが見える。そしてこのスターリー・モストの上からこの川に飛び込むのが流行っているようで、勇気のある若者が飛び込んでいた。
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暑い・・・ジェラートが美味しかった。
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この日中にサラエヴォに行かなければならなかったので、モスタルの滞在は1時間ちょっとだけだったが、街をもう少し歩くと内戦跡などもっと見ることができたかもしれない。この写真も何の気なしに駐車場に戻るときに撮った写真だが、よくよく見ると右側の建物には銃痕がある。
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行くまではそれほど勉強して行かなかったボスニア内戦の事も旅行の最中に興味を持ち出し、調べながら旅行を続けた。ユーゴスラビアからクロアチアが独立した後、ボスニア・ヘルツェゴビナのムスリム人民族も自分たちの国を、ということでボスニア・ヘルツェゴビナを旧ユーゴスラビアから独立させた。旧ユーゴ側にセルビアとともに残りたいボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人勢力が反発し、戦争となったのがボスニア紛争で、ボスニア・ヘルツェゴビナ全域ではセルビア人対モスリム人+独立には賛成なクロアチア人で戦っていた。

しかし、ここモスタルはボスニア・ヘルツェゴビナの中でも特にクロアチア人が多い土地で、ここではクロアチア人勢力がモスタルをクロアチアに併合しようとムスリム人と対立し、ムスリム人とクロアチア人の戦いの場となり、ボスニア・ヘルツェゴビナの激戦地の1つとなった。ボスニア・ヘルツェゴビナは内戦になるまでは民族に関係なく生活していたが、周りの独立に感化され、昨日までの隣人が敵となり戦い合う悲しい歴史があったのだと知った。

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