Day4:アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所 – アウシュビッツ第2強制収容所・ビルケナウ

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旅行日:2013/12/23

クラクフについて2日目の朝。ポーランドのタイムゾーンはフランスやスペインと同じなのだが、それらの国と比べるとかなり東に位置しているせいか、この冬の短い日照時間でもクラクフは7時半には空が明るくなった。朝いつまでも暗いと行動も制限されてしまうので、ポーランドや昨年行ったハンガリーとか、朝が割と早くなる国の方が日本の感覚で行動しやすい。

今思うとクラクフでは毎日が快晴で、天気がとてもよかった。アパートのベランダから旧市街を望む景色。クラクフではアパート滞在が本当に快適で、最後ストックホルムの宿をホステルのドミトリーからアパートに代えてしまったぐらいだった。
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この日はクラクフから行ける世界遺産の3つ目のアウシュビッツ収容所に行く予定だった。今回の旅でわざわざクラクフまで来た最大の目的である。そして私はアウシュビッツにはとにかく、冬に来てみたかった。日本より快適なヨーロッパの夏に来ても、当時の辛さが想像しがたいと思ったからだ。しかし冬に来てはみたものの、ベルリンに引き続き、クラクフも気温が0度よりも高く、暖冬気味だった。

アウシュビッツとはドイツ語の街の名前で、ポーランド語ではオシフィエンチムと呼ばれる。第二次世界大戦時、ポーランドのオシフィエンチムはドイツ軍に占領され、アウシュビッツと呼ばれるようになり、ドイツ軍が設立したアウシュビッツ強制収容所ができた、という流れであり、ポーランドが作った収容所ではない。訪問に当たっては、アウシュビッツの唯一の日本人公認ガイドである中谷剛さんにあらかじめアポイントメントを取り、この日の12:30から案内してもらうことになっていた。中谷さんにはここに載っていたEmailアドレスに直接連絡をし、こちらのアウシュビッツの訪問候補日を2つ、23日か24日、とあげて調整した。クリスマス時期は25日はアウシュビッツ博物館が閉館、常識的に考えて24日はクリスマスイブなので、中谷さんもガイドをやっていないようだったのでこの日23日に調整とあいなった。予約完了となると中谷さんからWordファイルでアウシュビッツへの行き方のまとめたものを送って下さり、親切だった。ガイド料金は250ズオチ(約8000円)を人数で均等割りとのことで、私が予約した段階で私が2人目だったが、結果的に6名となった。

クラクフからアウシュビッツは1時間40分かかるとのことで、この日は朝はアパートでゆっくり過ごして、10時少し前に出ればいいかと思っていた。朝に余裕があると朝食を取る時間もあり、前の日にカルフールで買ったヨーグルトやフルーツジュースなどから吟味して朝食にした。海外はヨーグルトの種類が多くていいね。浪人というのはエナジードリンク。サムライとかそういうの、海外の人って好きなようだ。
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朝食を済ませたら外出。こちらはアパートの目の前の様子。右側の乗り場がトラムの中央駅方面行でとても便利。旧共産圏お決まりの連結トラム。
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トラムもいろいろな形があってみていて面白い。旧市街の感じやトラムといい、クラクフはほんの少し、チェコのプラハのような雰囲気があると感じた。
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クラクフ中央駅に着いたら、ショッピングセンターを通り、線路を挟んで反対側に向かう。クラクフ駅の地下は東西の連絡通路、兼線路を横切る路線のトラム駅になっている。DSC07963

そして線路の反対側にはクラクフのバスターミナルがあった。
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整然ときれいなバスターミナルである。きっちりしているのはドイツの面影があるように思えた。
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オシフィエンチム方面行きはMUZEUM行きが駐車場で下してくれるバスのようで、それ以外のオシフィエンチムも裏口ではあるが、アウシュビッツ博物館まで行くようだった。バスの切符売り場のおばちゃんに尋ねたら「ああ、アウシュビッツね。10:25に乗って、切符は車内で」とのことだった。オシフィエンチム、と頑張って言ったのに、あっさり「アウシュビッツ」という発音で返された(笑)
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バス乗り場は時刻表の左の□にも書いているが、電光掲示板でも一応確認。D8乗り場は地下のようだ。
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地下にいると大型バスが停まっているかと思いきや、20名乗りのミニバスだった。
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こちらがミニバスの中。20名定員で満席で出発した。
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ところで、クラクフの街角にはこのような屋台を多く見かけたがこちらはプレッツェル屋台。
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ポーランドのプレッツェルはドイツでよく見かけるプレッツェルのようにも見えるが、それよりもパンっぽい。
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朝は飲み物とヨーグルトだけだったので、ミニバスに乗るときに中央駅に会った上のサンタの帽子をかぶった女性のプレッツェル屋台から1つ買って食べてみた。食感はよりパンに近い、ベーグルとプレッツェルの間のようだった。左側についているのはザラメで甘いのかと予想していたら、塩だった!塩つけすぎなので、塩をぽろぽろ落としながら食べた。
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クラクフ駅からミニバスは1時間25分走り、11:45頃に「ここがアウシュビッツ」と言われたところで降りた。しかし、どうもここは裏口らしい。フェンスにある看板を見ると”→アウシュビッツ”と書いていあったので、右の方に進んでみた。
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冬らしい景色。
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ポプラなどの背の高い樹木が目立つ。林の奥にレンガ色の建物が見えてきたのであれかな?
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こちらがアウシュビッツ博物館。ミニバスを降ろされた場所から5分くらい。11:50に到着。
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待ち合わせ時間まで30分以上あったので、外も寒いしカフェで待つことにした。正面玄関の右側の青い看板がある入口がカフェである。
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カフェというよりは食堂風の店内。おばちゃんたちが奥にいて右側に書いてあるメニューをいうと盛り付けてくれる。
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ポーランド名物・ジュレックのスープを頂いている。5.20ズオチ(180円)にパンが1.4ズオチ(50円)。ジュレックとはポーランドの味噌汁のようなおふくろの味だそうで、味噌と同じく発酵食品であるザワクス(ライ麦を発酵させたもの)を使ったスープ。飲んでみると酸っぱいが、おいしい。ロシアやハンガリーなど、寒い国はおいしいスープがあるものだな。
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ライ麦のブツブツを感じる。
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そして12時半になり正面玄関に出てみると、中谷さんがいらっしゃった。中谷さんにガイドを頼んでいたのはこの日は私を入れて6名。皆20-30代の個人旅行者で、旅のスタイルが似ている人たちだった。冬は日没が早いとのことで、明かりの少ない第2収容所のビルケナウから見学し、その後第1収容所のアウシュビッツに向かうとのことで、中谷さんと我々6人はまずビルケナウに向かう送迎バスに乗り込み、ビルケナウに向かった。バスは第1、第2収容所を1時間に1本無料で周っている。

3kmほど走り、数分で煉瓦の建物の前に到着。こちらが第2収容所であるビルケナウの入口である。
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広大な土地。こちらは第1収容所が手狭になって建設されたものである。夏はかなり込むらしいが冬のシーズンオフのせいか、混雑することなくかなりゆったりとしていた。残虐な歴史を織りなした場所ではあったが、空がきれいだった。
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ビルケナウの敷地を入って目立つのは、入口の建物からずっとづづいている線路である。
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ヨーロッパ中に張り巡らされていた線路の終わりがこのビルケナウである。
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何千何万というユダヤ人がヨーロッパ中から収容所に送り込まれた。
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土地を持たないユダヤ人が、安住の地、と言われて送り込まれてきたのが、このアウシュビッツであり、ビルケナウである。
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ユダヤ人はヨーロッパ中からこの貨物列車に荷物のように押し込まれて収容所に送り込まれてきた。長い旅路の中には命を落とすものも多かったと聞いた。
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収容所が現役だったころのパネルが残っていた。大勢のユダヤ人が送り込まれていた。
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今は豊かで平和な土地ではあるが、歴史の惨劇はたかだか70年前のことである。
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線路を左手に、女性の収容所があったエリアの中へ我々は進んだ。当時、収容されたユダヤ人は線路を挟んで、以下の写真でいうと右側は女性、左側は男性が収容された。アンネ・フランクが収容されたのも、このビルケナウの女性収容所である。
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入ると中途半端に壊れた建物がある。これは第2収容所のガス室の跡だ。
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第2収容所のガス室は第1収容所だけでは処理しきれなくなった後に作られた施設だったので、ガス室も第1収容所のものよりも大きかったという。しかし、ドイツ軍がビルケナウを解放した時、さすがにこれはみつかってはまずい、と爆破したのだそうだ。しかし、あまりにあわてて爆破したために、完全に吹っ飛ばす時間がなく、中途半端に壊れ、今に至っているとのことだ。
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ガス室横にある沼は昔は、ガス室で殺し、焼却所で焼いた囚人たちの骨が捨てられた場所とのこと。人が人を殺す、残虐な舞台ではあったが、ドイツ人が殺し、焼いたのではなく、嫌なところは囚人たちにやらせる”システム”がそこにあったとのことだ。そのため、ドイツ人は結果だけを把握して罪悪感を感じないような”システム”を作っていたらしい。この話は知らなかったので、大きな発見だった。
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アウシュビッツに来る前は、人が人を殺すことをなぜ止められなかった、という疑問があったのだが、ドイツ人が罪悪感を感じないようなシステムを作っていたことに、ドイツ人のあたまの良さ(いい意味ではないが)、そしてそこまで人間はずるくなれるのか、と思ってしまった。
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次は収容施設の中に入った。
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3段になったベッドがならんでいた。1つの区切りには3-5人を入れ、ぎゅうぎゅうづめだったとのことだ。
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この日は冬では暖かい日ではあったが、この後訪れる第1収容所と比べると戦火が進むにつれて、物資もなくなりかけていたころにできた第2収容所ということもあり、作りがただのバラックで、隙間風も多い建物だった。こんな中では冬のマイナス20度近くもなるこの土地では厳しい環境だったとうかがえる。
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煉瓦の立派に見える建物は、戦時中に作ったにしては丈夫そうに見えるのだが、こういうところはさすがドイツ人と思わざるを得なかった。
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中谷さんを筆頭に、この日の見学グループ。
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ビルケナウの入口から一番奥のところに慰霊碑がある。
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忘れてはならない、という記し。
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離れ離れになってしまった親子も、今は一緒に安らかに眠っていることを祈る。
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線路の左側の男性の収容所だった部分に移動。
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こちらも先ほどの女性の収容施設に比べて一段と簡素な造りになっている。これも当時の材料不足によるもので、戦後は一度は復興の為に木材が使われて無くなった物を再現したものらしい。
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この辺一帯の建物は「馬小屋」として発注し建てられたもの。したがってとても作りが簡素なのである。
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しかし、実際は中に入れたのは馬ではなくて、ユダヤ人の収容者だった。こちらのベッドはもっと簡単なただの木枠状態。馬用のすみかとして造られたので隙間風もひとしお。ナチスは人間を人間ともはや扱っていなかったことがうかがわれる。
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同じ並びの建物にあった、並んだ丸い穴。これはトイレである。当時囚人たちはトイレの時間も自由にできず、決まった時間に一斉に連れてこられ、ここで用を強制的にたさせられていたとのこと。1人に与えられた時間はわずか数十秒。一応汚水と分けた生活としていたのは、ドイツ軍のやっていたことは衛生も気を付けていた、という大義名分の為と、囚人を殺させない、という他国に対してのパフォーマンスだった、と伺った。体裁は守り、しかし、実態は厳しいものだった。
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中谷さんの解説はどちらかといえば淡々とではあるが、彼の言葉により、見学者の我々が考えさせられる、という感じで、絶妙な解説だったと思う。決まったマニュアルを話すだけのガイドならば価値がないだろう。しかし中谷さんの場合は彼が全部説明するわけではなく、彼の言葉によって、われわれが感じた疑問を投げかけると、更に話が深まる、という解説のプロセスだった。「ここにきて、何かを感じてほしいんですよ。これからの未来を創る若い人は特にね」とおっしゃっていた。
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1時間半くらいでビルケナウの見学を終えた頃、まだ2時台ではあっただろうが、既に夕暮れの日差しが始まりかけていた。
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アウシュビッツは来てみると、とてものどかな土地なのだ。歴史はどうであってもね。
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再びバスにのり、再び第1収容所に戻り、今度は博物館の見学へと我々は向かった。
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